第1章:止まった時間
「ごめん、もう明日から来なくていいから」
上司のその一言は、あまりにあっけなかった。
まるで、長年付き合った恋人に突然別れを告げられたような、そんな唐突さだった。
僕はその日、社員証を返し、ダンボールに私物を詰めながら、呆然としていた。広告代理店での仕事はハードだったけど、それなりにやりがいもあった。クライアントの無茶な要望にもなんとか応えて、仲間と遅くまで残って企画を練った夜もあった。
だけど、そんな日々は、経営悪化という現実の前にあっけなく崩れ去った。
家に帰ってソファに沈み込んだまま、僕は何もできずにいた。テレビの音はただの雑音で、スマホを開いても、求人情報を見る気にもなれなかった。「これからどうしよう」という問いだけが、頭の中をぐるぐると回っていた。

何日経ったのかもよく覚えていない。
カーテンの隙間から差し込む光が、ただ過ぎていく時間の存在を教えてくれるだけだった。
そんなある日、YouTubeをなんとなく開いた。
特に見たい動画があったわけじゃない。ただ、何か音が欲しかった。心の空白を埋めるために、無意識に再生ボタンを押した。
再生されたのは、知らない誰かのVlog。
タイトルは「雨の日の午後、静かな時間」。
特別な映像ではなかった。
部屋の中でコーヒーを淹れる音、窓の外に打ちつける雨の音、静かに流れるピアノのBGM。
でも、なぜだろう。胸の奥がじんわりと熱くなった。
「こんなに何でもない時間が、どうしてこんなに美しいんだろう……」
涙がこぼれそうになるのをこらえながら、僕は最後までその動画を見続けた。
そして、思わずコメント欄に書き込んだ。
「ありがとう。今の自分には、この動画が必要でした」
その瞬間、自分でも気づかなかった「感情」が、動画を通して表に出てきた気がした。
僕の時間は確かに止まっていた。でも、この動画が、ほんの少しだけ再生ボタンを押してくれた。
それが、僕と動画編集との、最初の出会いだった。

第2章:編集という魔法
あの日、心を救ってくれた3分間のVlog。
その余韻が消えないまま、僕はふと「自分でも、あんな動画を作ってみたい」と思った。理由なんてなかった。ただ、無性に“やってみたい”という気持ちが湧いてきた。
だけど、すぐに現実が声をかけてきた。「機材もないし、知識もないだろ」「センスもないくせに」と。
でも不思議と、その声は以前ほど大きく響かなかった。
「スマホでも撮れるし、編集ソフトも無料であるらしい」──そんな情報をネットで見つけて、とりあえずやってみることにした。
まずは、自分の部屋をスマホで撮ってみた。何の変哲もない風景。観葉植物の葉がゆれている映像。お気に入りのマグカップに注がれるコーヒー。
それを、無料の編集ソフトで切って、繋いで、音楽を乗せてみる。
驚いた。
ただの映像に、編集という“魔法”をかけただけで、目の前の世界が変わって見えた。
「なんだこれ…楽しい」
スローにすれば、時間が優しく流れ出す。
フェードインさせるだけで、感情の余韻が生まれる。
BGMを加えるだけで、どこか映画のワンシーンのように感じられる。
編集作業に夢中になるうちに、いつのまにか夜が明けていたこともあった。
無職の不安、未来への焦り。そんな気持ちは、動画と向き合っている間だけは不思議と遠のいていた。
やがて、何本かの動画が完成した。どれも短くて、拙い。
でも、どこか自分の“心のかけら”が込められている気がした。
「誰にも見せるつもりはない」と思っていたのに、気づけばSNSにアップロードしていた。
投稿後、スマホの通知が鳴った。
「この動画、なんか落ち着きます」「泣きそうになった」「また作ってほしい」
その言葉を見たとき、胸の奥にあった何かが震えた。
「あのときの自分」と同じように、誰かが今、この動画で救われているのかもしれない。
それだけで、報われた気がした。
“伝えたい”という気持ちは、たとえ拙くても、ちゃんと届くんだ。
編集とは、映像を整える作業なんかじゃない。
自分の中にある「想い」や「景色」を、誰かに手渡すための言語なんだ。
そう感じたとき、僕は初めて、自分の人生に「意味」を見いだせたような気がした。

第3章:再生される自分
今、僕はフリーランスの動画編集者として、毎日を忙しく過ごしている。
案件をもらうたび、「あの頃の自分」に向けて作っている気がする。
迷って、止まって、怖くて動けなかった自分。
そんな自分に、「大丈夫、再生ボタンはいつでも押せるんだよ」と伝えたい。
動画編集は、ただ技術を磨くだけじゃない。
カメラの向こうにある「誰かの物語」を、編集で救い出す作業だ。
ときには音楽一つで、人の心を抱きしめられる。
何もなかった日々が、宝物に変わる瞬間がある。
今でも、ときどき思い出す。あの最初に見たVlogのことを。
あの動画がなかったら、僕はずっと止まったままだったかもしれない。
でも今、僕はこうして「誰かの再生ボタン」になることができている。
人生は編集できないけど、「これからの物語」は自分で紡げる。
そう信じて、今日もまた、僕は再生ボタンを押す。
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